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「永遠と一日。」これ、私が愛して止まない映画の題名なんです。
もう退屈で退屈で仕方ない映画なんだけど、何度でも観てしまう。特に今時分のような夏の終わりには。 映画を観るのが大好きなのだけど、最近は滅多に映画館に出向かなくなった。 理由はいくつかあるのだけど、まずは上映中にも関わらず携帯電話を開いてメールチェックする奴らやコンビニのビニール袋をがさがささせる奴らやエンドロールが終わる前に席を立つ奴らに苛立つことが分かっているということ。多くの映画館がそんなバカにでも分かるような映画しか上映しなくなったこと。そして最大の理由はビデオプロジェクターを買ったことだ。プロジェクターといっても一番廉価なものなんだけど、それでも好きな時に好きな映画を好きなオーディオを通した音で闇にうずくまって観るのは至福の境地。観る映画も余程マニアックなものでなければ5000円も出せば大抵DVDが手に入る。劇場での鑑賞二回分だ。 ささやかながらマイシアターを手に入れたので気に入った映画は何度でも繰り返し観るのだけど、当然他の誰かともその感動を共有したくなる。ところが困ったことに私が感動して何度でも繰り返して観るような映画ってなぜか私の友人知人からは悪評芬々なことが多いのだ。貸したDVDを返して貰うときに「どうだった?」って聞くと、気を遣って「まあまあかな...。」って応えてくれるならまだマシで、大概「眠かった。」とか「退屈だったので最後まで観てない。」という答えが返ってくる。そんな時は大層ガッカリすると共にかすかな孤独感も感じるのだ。 映画って面白いなあと思うことのひとつに、多くの価値観を共有出来ると思ってる人とでもある映画への評価が全然違ってたりすることがある。「この人なら分かってくれるだろう。」って思っても大外れしたり。そしてお互いの評価が食い違った時に「こいつとは話にならんな...。」って思ってしまう気分が文学や音楽などよりもはるかに大きいような気がするのだ。「なに?”アルマゲドン”で泣いた?信じられへんな...。」とか「”ギャラクシー・クエスト”観て感動せんやつとは酒を酌み交わす価値無し!」とか(※あくまで架空の例です。多分...。)。 ということで、 ・永遠と一日(テオ・アンゲロプロス) ・ストーカー(アンドレイ・タルコフスキー) ・ツバル(ファイト・ヘルマー) ・不思議惑星キン・ザ・ザ(ゲオルギー・ダネリヤ) などなど、私が何度でも繰り返して観てその度に感動する映画ってこんなのですが、「こいつとは話にならん」でしょうか。 あ。 今書いていて気がついたのだけど、 ・老人と少年が廃墟を歩き回る話(永遠と一日) ・三人の男が廃墟を歩き回る話(ストーカー) ・美少女が廃墟のような室内プールで泳ぐ話(ツバル) ・中年男と青年が廃墟のような惑星を彷徨う話(不思議惑星キン・ザ・ザ) じゃないか。なんだ、結局ただの廃墟好きかよ。 追記: 「永遠と一日(原題:Mia aioniotita kai mia mera)」、予告編見つけました(イタリア字幕だけど)。死期を迎えた主人公の現在は常にモノクロに近い描写で、彼が過去の記憶の間を彷徨い亡き妻に出会う時だけ夏の光に満ちあふれているのです。観るたびに切なくなってたまりません。 追記2: 私が一番好きなラストシーンのメイキングフィルムもありました。(これからこの映画を観ようと思う人は見ない方がいいような気もするけど。)
by sivaprod
| 2007-09-10 06:34
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