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私は今や新聞(全国紙)やテレビを殆ど見ない人間になりつつある。(大スポはたまに買うけど。)反知性主義的な劣情をかき立てるだけの権力補完装置と化してしまった現在のマスメディアは、情報取得手段としてのメリットよりもバカ生産ツールに時間を消費するデメリットの方が上回ってしまってると思ってるからだ。
そんなジャーナリズムを失った(と私が思っている)マスメディアの中であっても時たま光る仕事をしている人に出会うことがあり、そんな時は「まだ日本の新聞も腐りきっているわけでは無いのかな?」とちょっと希望を抱いてしまったりもする。 Daily Bullshitというニューヨーク在住の方のブログ(この方のエントリーはどれもとても読み応えあり。ブックマークすることをオススメする。)で知った神戸新聞の霍見真一郎記者の調査報道記事「ほんとうのじぶん — 性同一性障害の子どもたち」。本当に素晴らしい仕事。出来れば全ての大人に読んで欲しいくらい。 性自認が女性である七歳の男の子とその母親。以下記事から少し引用してみる。 ↓引用ここから ------------------------------------------------------------------- 幼いころから春樹は女児に多い趣向を見せていたが、「一過性のもの」と考えていた母。しかし小学校入学前、初めて性別を聞いた。 春樹は「女だよ」と、はっきり答えた。「おちんちんは、生まれたときに神様が付けていけと言ったから付けてる。大人になったら、おもちゃだから取れるんだよ」とも。そして、泣いた。傷ついたようだった。 母は信じられず、日を置いて、幾度か同じ問いを投げかけ、そのたびに泣かれた。 あるときは、「いつから女の子になりたいと思っていたの」と聞いた。春樹の答えはこうだった。「なりたいんじゃなくて、(生まれたときから)女の子なの」 ------------------------------------------------------------------- ↑引用ここまで 子供の苦悩はその子の世界全部を覆い尽くす。私たちだって子供の頃苦しんだことは大人になった今苦しむ事よりも時としてずっと深刻だったことを覚えているはずだ。 子供ひとりずつがひとつずつ全世界を持っていることを想像できない大人。子供に罰を与えることしか発想出来ない大人。他と違う子供が許せない大人。そんな大人たちがこの国の「教育」をいじくり回している。 追記: もう少し引用を。 ↓引用ここから ------------------------------------------------------------------- 春樹の母の「カミングアウト」は、良い結果ばかりを生んだわけではなかった。 しばらくすると、兄が友達に「おまえの弟、オカマ」と言われ、泣いて帰ってきた。春樹も、たびたび母に泣きすがった。広まることによる弊害があった。 だから、春樹の母は取材を受けることに抵抗があった。周囲もみな反対した。迷いを断ち切ったのは、春樹が漏らしたひと言だった。 「認められたい」 自分が自分でいるために、春樹自身が踏み出した一歩(カミングアウト)だった。 ------------------------------------------------------------------- ↑引用ここまで 訂正: 七歳というのはもうひとりの取材対象だった優の年齢で春樹は九歳。不正確な記載で申し訳ありません。 自分自身と自分の中のもう1人の自分、そして周囲の人たちとの関係性の問題なので難しいですね。 生命のデザインは、人間を含め女性が基本/ベースに成っていると言う説があるそうですね。男性はマイナーチェンジでしょうか。 社会のデザインは男女それぞれ役割分担出来た方がそれぞれの負担が減るっていう按配に作ったんでしょうね。 私ですか? 男性で、時々主夫してます。洗濯とトイレ掃除は任せなさーい。 クマさん、時々主夫ですか。わたくし家事全般大好きですがアイロンかけが唯一苦手です。こんなに技術が進歩してるのにアイロンはなんであんなに原始的なままなんやろ。 「おとこ」と「おんな」に無理矢理分ける必要はないんとちゃうの?という思いが最近私の中でますます強くなっています。分けることでなにかメリットあるんですかね?みんな自分が好きな方を選択したら愉しいのに。 いっぺん一斉に「おとこ」と「おんな」の役を入れ替えてみたら面白いんやないですかね。スカート履いた「おとこ」が「おんな」に「なあ、一回くらいええやろ?減るもんやなし。」とか迫られたりするんです。 ますます多様性を認めないようになってきていますもんね。イロイロな人間が複雑に絡み合ってうまく機能するのが、ごく自然なことのような気がします。 単純化することによって無菌状態のようになり、異物に極端に反応するようになっているのか。上手く言えませんが、知的障害者とそうでない者との線引きなんて実に曖昧なもの、そのようなものなんでしょうね。 >yasさん 政治家や企業人の主張に「個性の尊重」とかの文言をよく見かけたりするのですが、「個性」をどう定義してるのか知りたいです。誰しも自分と異なる人や物に接する時に戸惑うのは当然だと思うのですが、馴れてしまえば大したことではないことの方が大半やと思います。自分と異なる人や物を排除して得られる「安心」より自分と異なる人や物に接して得られる刺激の方が人生に彩りを与えてくれる可能性が高いと思っています。
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