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ジョン・キャメロン・ミッチェル(以下JCM)の「ショートバス」を観た。出演条件が「カメラの前でセックスの出来る人」というほどに”過激”なセックス描写(冒頭にいきなり全裸でセルフフェラチオに挑戦して射精する青年が出てきたりする。)で話題になった2006年封切りの映画。
素晴らしかった! 未だオーガズムを経験したことがないことに悩む恋愛カウンセラーとその夫。パートナー以外との公認セックスを模索するゲイのカップル。彼ら二人ともがいい奴と感じてる美青年。彼らゲイカップルの関係を至高のものと感じ憧れてストーキングする男。冷笑しか出来ないSMの女王様。そんな7人のニューヨーカーたちの、ショートバス(ハンディを持つ子どもたちのための通学バス)という名前のフリー・サロンを巡っての物語。 涙がダバダバ出るくらい感動したのだけど、ゲイの男性が三人で輪になってお互いにフェラチオに興じたり(”巴寝”ですな)肛門に口をつけてアメリカ国家を歌ったり女王様に足の裏を鞭でビシビシしてもらいながらオナニーしたりとかのシーン(それもフリではなく全部実際にしてる)がバンバン出てくるので、これはJCMが投げかけたことを受け止める前に嫌悪感が先立つ人もいるんじゃないだろうかとレビューサイトを眺めてみたら。 意外にも嫌悪感を表してる人はそんなに多くなくて。なんだかこの国も割合いいとこじゃん、なんて思ったりした(といっても肯定的なレビューを書いてる人の多くは女性なんだけどね)。で面白かったのが多くの人が日本版公式サイトの「みんな誰かとつながってる あなたはひとりじゃない」ってキャッチ(これたぶんJCMは関わってないと思う)と同じような感想を書いてたことかな。確かにわたしも映画を見終わって感動しつつとても暖かい気持ちになったのだけど、でも前作でプラトンのいう片割れを探すヘドウィグを索漠とした夜の街に裸で独り歩み出させたJCMがそんなベタな映画を作るかなあ、と思ったのですね。で私の感じた感動はなんだったんだろうとよーく考えてみた。 前半では愛する対象がありながらも孤独を感じてる人々がラストでは全員がショートバスに集まって隣にいるひとと抱き合い孤独が癒されたかのように見えるしつらえになってるのです。でもその直前のシーンではそれぞれが決定的に独りになってしまってる。あるいは独りにさせられる。あんなに愛し合ってたはずのカップルが通りを隔てた窓を通じて言葉も交わさず哀しげに微笑みあってる。そう、物語の始まりで孤独だった人々は孤独なまま物語を終えたのではないかと感じたのです。でそこが素晴らしいなあと。同じ孤独でも物語の始まりと終りでは決定的に違ったんじゃないかって。でセックスって時として人に孤独というものを突きつけるものでもあるのではないかって。 孤独は怖い。誰しもできれば孤独でいたくない。その孤独を引き受けること。自分が独りであることを引き受けてその上で誰かとつながること。それが物語の始まりと終りでの彼らの違いなのかなあと。ショートバスのオーナーが「人は臨終の床で気付く 心の悪魔こそ最良の友と」と歌い、それに合わせて沢山の”独り”たちが抱き合い歌い踊るラストシーンはわたしにとって身震いするほど感動的でした。もちろん映画から受け取るものって人それぞれその人だけのものだから何が正解なんてないし私の見方も大いなる勘違いかも知れないけどそこはそれ。それにしてもスーザフォンやチューバのブカブカした音ってなんでこんなに切なく聴こえるんだろうね。 余談ながら性器を隠すためのボカシってほんとバカバカしいよねえ。オリジナル版も見たけどボカシ入ってる方がよっぽど”ワイセツ”でした。
by sivaprod
| 2010-03-02 08:45
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